敦亀通信
家康とお市の方について新説
更新日:2021/04/27
日経新聞21‘4.18の文化欄に驚嘆すべき記事が掲載された。なんと織田信長が徳川家康に対し妹のお市の方を娶わせ、お市の方と家康は婚約し床入りも済ませていたということである。発表したのは作家の安部龍太郎である。このことは日本史にもないことであり、今まで多くの作家が信長、家康、お市の方を題材にしてきたが、このことが語られたことはない。しかし日経といえば天下の大新聞である。そのような新聞に今まで語られなかった新しい事実を発表するということは、日経にとっても安部氏にとっても大きな勇断であった。歴史作家は数多く活躍している。その中でもベストセラー作家といえば司馬遼太郎であった。司馬遼太郎が逝ったあと、次に来るのは安部氏ではないだろうかという予感がする。安部氏は1955年福岡県に生まれ2013年長谷川等伯を題材とした「等伯」で直木賞受賞、その後も「信長燃ゆ」「家康」「女の城」など多くの歴史小説を書いている。作家という仕事から文系の出身と思っていたら、なんと理系「久留米工専」である。とかく我々は人をみるときその人が従事している職業から文系又は理系と相対的な考え方で考えがちであるので反省している次第だ。
さて、本論、家康とお市の方である。安部氏の発表された文章は別紙の通りである。隠された史実を発掘し、いくつかの事実と事実を結び付け、そこから大胆な発想と想像力を展開してゆく安部氏の能力に唯々感心するのみである。こうした姿勢こそ「事実を通して真実を追求する」という理系出身者の特技でなかろうか、と思う。そういえば、直木賞を受賞をした「等伯」中で、しゅじんこう長谷川等伯が故郷の能登七尾から妻子を連れて京都に行く途中敦賀に立ち寄る。そこで京都への街道は信長による比叡山焼き討ち事件で全て止められてしまう。このままでは京都へは行けないため敦賀のお寺に妻子を預けるという話がある。このお寺も現在立派な姿で残っている。妻子をお寺に預けた等伯が京都への街道を避け、野坂山の南側から美濃と若狭の県境に連なる山越えをするくだりがある。これらの山は現在「高島トレール」と呼ばれ登山愛好家が多く訪れている。「等伯」で安部氏は、県境の複雑な地形についても誤りなく正確に表現していた。九州出身の安部氏が一部の登山愛好者しか知らないルートを正確に表現されていた。このような作家であるからこそ、家康、お市の方、信長の関係について確信をもって今回の発表となったのであろうか。