敦亀通信

盲亀浮木

更新日:2021/03/29

大分前、私はある団体の米国流通業視察のツアーに参加しノースウエスト社のロスアンゼルス・成田便で帰国途上であった。隣席には若者が座っていたが、どこの国の人かな、と思いこちらから話しかけることはなかった。しばらくすると、機内サービスのスチューワデスが近くに来た。するとその若者は早口の英語で彼女に話しかけたのである。英会話力の乏しい私は二人の会話内容はさっぱりであったが、彼の会話力は私の想像を超えてかなりのレベルである。話が弾んでくると,さらにもう一人スチューワデスが加わり面白いことでもあるのか笑いもまじえ大いに盛り上がってまるで若者たちの空間が出来たようであった。勿論、私はチンプンカンプンでそばにいるものの蚊帳の外。この様子から彼はおそらく日本人ではないだろう、、、たぶん米国生まれの東洋人、、、?と想像した。やがて、楽しい?ひと時も終わりスチューワデスのお嬢さんたちも任務に戻ったようだ。すると彼は機内サービス用の週刊誌「ベースボールマガジン」を読み始めたのである。週刊誌を読み終えると私に笑顔で「お読みになりますか?」と日本語ですすめてくれた。ありがとうと言えばよいのに丁寧に礼を言った。私も緊張しすぎていたんだな、、と思う。その後はお互い気楽に話し合うことができた。聞けば彼は神戸の生まれで中学を終えると米国留学をしたいとの思いを両親に話したそうである。親はサラリーマンで家計も苦しかったそうであるが了解し留学させてくれたとのこと。普通国内の学校に進学させるだけでも大変なのに今独の親としてとてもよくできた親ではないだろうか。外国留学には滞在費や授業料など大きな負担となるので一般サラリーマン家庭では困難である。結果として、十分な仕送りもできず現地で厳しいアルバイトも沢山しながら高校を卒業し大学を来年には卒業するとのことである。今回は卒業を控え日本の生保企業に就職活動のため神戸の実家に帰る途中とのことである。彼は留学中の楽しかったことや、苦しかったことなど色々話してくれた。一番つらく悲しかったことはアメフットのクラブ活動中に足を骨折し何週間も下宿から出れなかったとのこと。誰だって故郷を遠く離れ異国の地で身体も思うように動かせない、不安も相当あり寂しさや不安感は想像できない。しかしそのような体験を明るく笑顔で話してくれるきさくな若者であった。数時間の会話でしたが、私は彼が親孝行で勤勉、そしてとても素敵な若者だなー」と思った次第である。スチューワデスのお姉ちゃんとも気楽に会話ができ楽しいひと時をもてる理由もなんとなく分かったような気がする。やがて関西空港に着き別れのときがきました。もうこんなに素敵な若者とは会えないだろうな、と思いつつ私は「これで会う機会は二度とないだろう。しかしご縁があったらまた会う時もあるだろう。」と、自分の名刺をわたした。話に熱中しすぎ彼の名前を聞いてなかったことに気づき「おたくの名前は?」と聞いた。すると「神戸のN」です、と明るく笑いながら空港ゲートを後にした。神戸のN君、一文字の漢字なので覚えやすい苗字であった。
数年後、私は所要で小松から羽田を経由して上野からJR在来線で東北方面に向かっていた。在来線は新幹線と違いあちこちでお国訛りも交えた楽しい会話が聞こえてくる。すると多くのざわめきの中で福井弁とおぼしき声が聞こえてきました。こんな関東のはずれに福井の人はいるはずがないだろう、、、と思い、そちらを見ると私が所属していたFクラブの友人、Oさん夫婦であった。私は思わず「おー、Oさん、どうしたの、、、こんなとこで。」とあたりも構わず福井弁で声をかけ、ご夫妻も奇縁に驚き席を移し楽しい車内談義で盛り上がったのである。Oさん夫婦は水戸に嫁いだ娘さん宅の法事に招かれたとのことであった。その後、色々と話が盛り上がり「近頃の若者をどう思うか」ということが話題になった。70歳ぐらいであったOさんは「近頃の若いもんは、、あかん」といって若手芸能人などのゴシップ話などを交え近頃の若い世代を批判的に語ったのである。しかし、私は「Oさん、僕も昔は同じやったな、そやけど今は、ちょっと変わってきてる、、」と、私が数年前ノースウエスト機で出会った素晴らしい青年の話をした。彼は話を聞きながら、次第に様子が変わってきた。そしてOさんは突然大きな声で云ったのです。「それ神戸のNやろー」私はびっくり、「Oさん、なんで知ってるの」太平洋の上空1万mで出会った青年とOさんは結びつかないのは当然である。「あれは俺の息子の嫁の弟や、、、、」そういえばOさんの息子さんはドイツの日系企業に勤めている、ということは以前から聞いていた。太平洋上空で一人の若者との出会い、福井から遠く離れた茨城での親しいOさんとの出会い、その二つの出会い、そうした不思議な可能性に感動した次第である。この話を単なる偶然がもたらしたお話とする考え方もあるが、いつまでも心に刻んでおきたい。
後日、「盲亀浮木」という言葉をある本で読んだ。深い海の底に盲目の亀がいる。そこは当然、お日様の陽も届かず真っ暗闇、だから明るい洋上に出たい、、、と思い海面に向かって泳いでいく。すると、突然目の前が明るくなり広い広い洋上に出る事が出来たのである。しかし頭上には1本の丸太が漂いお日様を遮っている。亀はなんとかお日様を見たいと必死に丸太にとりつくと丸太の一部に穴が開いているではないか、その穴が開いた部分に自分の頭を必死になって突っ込んだところ頭は丸太の上に出てお日様を見れたのである。この喩えを仏教では「盲亀浮木」といい我々が両親から生命を頂いてきた事や仏教の教えに出会った事を当たり前と思っているが、盲亀浮木のように普通ではありえない貴重な事実であると書いてある。出張から帰った後、N君と早速連絡を取ったところ、すでに生保マンとして第一線でご活躍中であった。遅ればせながら就職祝いとして福井のお菓子を送ったところ大変喜ばれた。Oさんとはその後もクラブ活動を通じて、公私共々色々とご指導頂いたが、残念ながら数年前にお二人ともお亡くなりになった。今でもあの明るい甲高い福井弁で陽気に話す声が耳に残っている。