敦亀通信

ジムニー泣いた、私も泣いた

更新日:2017/08/31

新しいタイプのフルタイム4駆のジムニーが発表された。ジムニーといえば30数年前、私も乗っていた。楽しいことも辛かったこともあるが辛かった話しをしよう。

その年の天皇誕生日、12月23日は土曜日であった。前夜は厳しく冷え込み朝から一点の雲も無く真っ青な空が拡がっていたので、じっとしておれなく一人赤兎山を目指した。早朝、家を出て小原部落を目指す。天気は快晴、今日の楽しい山行を思うと気持ちはルンルンである。数日前に降った雪が道路脇に消え残っていた。このことが後で問題になるとは全く思いもよらない。勝山からR157を通り標高は500~600mぐらいとなり、小原大橋も近づいてきた。車は短いトンネルにさしかかった。トンネルの入り口は登り勾配で、このときの速度は50~55k/時位であったと記憶する。短いトンネルですぐに出口にさしかかるのであるが、出口は逆にゆるい下りであった。おまけにゆっくりではあるが大きく左に周回している。トンネルを出てすぐに小原大橋がある。このとき事件発生。車が橋を渡るや否や、突然ハンドルがきかなくなった。なんと橋が凍っていた。前日の天気で、右側の山雪が溶け道路に流れ出した水が橋の上にまで到達していたのだろう。昨夜から今朝の冷え込みで凍結していたのだろう。あわててハンドルを操作するが一切の努力を受け付けない。先ず左側の欄干に車の左がぶつかった。今度は、はずみで右側にすべり右側の欄干にぶつかった。そこでとまらず再び左側へはじかれながら今度は車が左側に横転した。この間、どのくらいであったのか分からない。おそらく一瞬の出来事と思うが、全てのプロセスがゆっくりと時間が進むように感じた。車が横転する瞬間は特にゆっくりと感じた。幸い怪我は無かった。横転した車は当然右側から脱出となるが天井から抜け出るような感じである。抜け出た後、欄干から橋下を見下ろすと切り立った谷底が見え50メートルはあるようだ。よくぞ下へ落ちなかったものだ。この後どうするかを必死に考えた。先ず、二重三重の事故を防がねばならない。自分が走って来た方は見通しが悪いので、若し後続車両があれば、突然私の横転した車が道をさえぎっており、ぶつかってくるであろう。後続車両を緊急停止させるためザックや道具箱等を路上に置く。電話は公衆電話が橋を渡ったところにある。しかし電話したとて、今日は祝日、おそらく誰も出てこないだろう。それよりも先ず車を脱出させることだ。運よく石川県側から乗用車が来た。運転していた人に頼み一緒に車を起こそうとするが重過ぎて空しい努力となる。又、石川県側から車が来た。今度は大きなミニバン(車種は忘れた)である。これならいい。私の車にあった牽引ロープを出して横転したままの車をそのまま石川県側へ引きずってもらう。一瞬、車がダメになってしまう、、、と思ったがこの際、分秒を惜しまねばならない。愛車ジムニーはギイギイと悲しいきしみ音をたてつつ安全地帯に運ばれ、みんなで車を起こした。帰りは前輪の上部カバーが曲がってしまいタイヤをこすってしまうが家までなんとか帰った。ジムニーの左側面は横倒しのまま地面を引きずられた為、前と後ろのドア一面にものすごい痕が残っている。これをみていると情けない思いがしてどうしょうもなかった。帰ったのが午前10時ごろ、まだ時間はあったが私は悲しさ、そして無事助かったという複雑な思いが交錯し、そのまま寝てしまったのである。こういうのを不貞寝というのであろうか。夕方、妻が帰宅し今日の山は楽しかったかと聞かれたが、憮然とした様子で事故の状況を語った。「車は無事な状態で駐車していたよ」と妻に言われたが、「左側を見てくれ、相当なダメージだ」と言ったところ、すぐに車を見に行き「ひどい状態ね」といってあきれていた。後日、修理代は20万円ほどかかったことを覚えている。私も泣いたが橋上から引きずられるジムニーも確かに泣いていた。それにしてもみんな私の自業自得、これからも安全第一ですね。