敦亀通信

小谷山の蝶々

更新日:2020/08/03

今から10数年前の山行は奥越の山々が中心であったが、最近は嶺南、滋賀県北部の山々が多くなってきた。こうした山々は一概におだやかであり私の年齢からくる衰えにあっているのかもしれない。また、山だけでなく湖や海が見渡せることもありがたい。ところで、以前の私と変わったことがある。昔は山を楽しみの場所と考えるとともに自分自身を厳しく鍛える場所でもあった。たとえ登っている時が苦しくても歯を食いしばり我慢をすれば、いつかその苦労が実り丈夫な体と何物にも負けない精神力ができるだろうと考えていた。しかし人生も終盤を迎えると将来の何かを目指して自分自身の心と体を鍛えたとしても、仕方がないんじゃないだろうか?と思ってしまい苦しみつつ登る山より容易に楽しく登れる山を選んでいるようになったのである。率直に言えば、私も年をとったということだ。しかし、こうした地域は歴史の宝庫でもある。数百年前、同じ位置に立って昔の方々が眺めた景色や栄枯盛衰の跡を見るのも楽しいひと時である。そんな山の一つに小谷山がある。戦国期を通じて浅井家三代が君臨した山城が中腹にある。この山に初めて登ったのは20年ぐらい前のことだが忘れ難い思い出がある。ご承知の通り信長の妹、お市の方を娶った浅井長政は朝倉家との同盟により義兄である信長に弓ひくこととなり結果として小谷城を攻められ父である浅井久政をはじめ多くの家臣とともにこの地に滅んだ。そのようなことに思いを馳せながら登ってゆくと途中にこの時の戦で戦死した大勢の人たちを慰霊する巨大な慰霊碑があった。確かその日は11月中旬で私と妻、そして友人の3人であったが、初冬を思わせる寒い日であった。ふと気が付くと1~2cmの白い蝶が無数に舞っている。その数、数えきれないほどであり我々の周りから目が届く範囲に乱舞しているといった感じである。季節は冬に入っており気温も低いので、こんなに沢山の蝶が舞う時期ではないはずだ。蝶が乱舞するのは特に変わったこととは言えないだろう。しかし異常とも思えるたくさんの蝶が季節外れの寒い朝に待っていることを不思議に思ったのである。この山が400数十年前、阿鼻叫喚、悲劇の舞台であったという事実が私の心に何か別の感じを抱かせたのである。そうした事情もあって、戦に滅んだ方々のご冥福を祈りつつ敬虔な思いで慰霊碑に手を合わせたのである。しかし目の前に拡がる琵琶湖を見ると竹生島はいつもの通り平和なたたずまいを見せてくれ心も安らかになった。それ以来何度もこの山には来ている。春は新緑、秋は紅葉が素晴らしい私にとって心休まる山である。

「琵琶湖に沈む夕日」