敦亀通信

君子豹変す

更新日:2023/04/20

山にはいろんな思い出がある。古い記憶のページを辿ってみよう。いつの時だったか思い出せないが、私はある山岳会に属し数人のグループで100名山といわれる荒島岳に登っていた。季節は1月、厳冬期である。登山口と頂上との中間点になるシャクナゲ平を超すと積雪も2~3mはあったようだ。その日は曇り空で比較的穏やかな日であった。全員、冬山装備、ピッケル、ストックを持ち、足元はワカンを装着していた。シャクナゲ平に続く急な餅ケ壁を超すと、頂上まで大きな斜面がいくつか続いている。ふと振り返ると、100メートルぐらい後方に二人の女性登山者が我々の後をついてきている。年代は不明だが二人とも赤と黄色のレインウエアが白い雪を背景に色鮮やかであった。どうやら我々がラッセルしてできたトレースを辿っているようだ。いくつかの斜面を登ってゆくと頂上に着いた。荒島岳は標高が1540mで高度はそれほどでもないが独立峰のためであろうか、頂上に吹く風は強く体感温度もそれにつれて下がり厳しい寒さである。こんなところで、じっとしていると凍傷になる恐れもある。風が来ない場所を選び持参のテントを張った。これで北からの風を遮ることが出来、食事の準備をすることができた。後からついてきた女性たちにも「どうぞ、場所を開けますからここで休んでください」とスペースを分けてやったところ大変感謝された。聞くところによると2人とも別の山岳会の会員であった。男ばかりのテントに紅2点が加わり、テント内の気分も大いに盛り上がったのを覚えている。厳しい寒さの頂上に長居は禁物である。テントを撤収し下山を開始した。K会の女性も来た時と同様、我々の後方100mほどの距離を保って降りてくる。荒島岳は稜線から頂上まで40~50mほどの上り下り斜面がいくつもある。夏場には、この斜面を登ってゆくのが大変な苦しみである。しかしこの日は、まことに快適な稜線となる。特に積雪期では、なだらかな斜面が尻セードを楽しめる絶好の場所となる。両足をそろえ,ピッケルを斜め後ろについて制動をかけながら中腰になって登山靴で雪渓を滑り降りる技術をグリセードというが、登山靴でなくお尻を雪面に滑らせピッケルで制動をかけ滑り降りることを我々は尻セードといっている。これはスキーヤーがゲレンデで快適に滑るのと同様、雪山登山ならでの爽快感を味わえるのである。我々は時間を忘れ次から次へと続く急斜面を尻セードを楽しみながら下山して行った。後方を見ることはしなかったが、女性たちも尻セードを楽しんでいるのであろう、楽しい笑い声が聞こえている。いくつかの斜面を越えた頃、私のワカンが片方、靴から外れてしまった。「先に行ってくれ」と仲間たちに告げ、外れてしまったワカンを装着した。バンドを締め直し再び下山を開始する。前を見ると仲間も女性たちも見えない。わずか数分であったが大分先に行ってしまったのだろう。まあ、天気も落ち着いているのでゆっくり下山しようと心に決めた。しばらく降りたところで女性が雪の中に一人立ちすくんでいる。見ると先ほどの女性の一人である。「どうしたの?」と声をかけてみた。すると「連れが谷へ落ちたの、、、」と泣きべそをかきながら言う。下を見ると数十メートル先で女性が手を振っている。どうやら自分では登ってこれないようだ。女性に聞いたところ、尻セードの方向を誤り本来、曲がらなければならない登山道を直進してしまい方角違いのところに下ってしまったとのことである。なんとか助けないと重大なことになる、と感じた。「あんたはここで待ってて」といって救助に向かった。私は精一杯「かっこ」をつけたが、所詮、素人である。高度の登山技術も体力もない登山愛好家である。しかし、そんなことを云ってはおれない状況であった。直接、下へ降りるのは滑落の危険がある。斜面をトラバースしながら慎重に降りて行った。戻ってくる時のことを考え、ワカンで足元の雪を踏み固めながら一歩一歩下りて行った。ようやく女性がいる場所に到達した。女性にピッケルを渡し自分はストックを持ち、後についてくるよう指示した。数分かかったがなんとか元の場所に戻った。もう大丈夫だろう。私は再び下山を開始した。女性たちが心配で、時々後ろを振り返った。その後も絶好の尻セードポジションがいくつかあった。私は十分楽しんだが、女性たちは斜面に立つと腰が引けてしまい二度と尻セードはしなかった。やがて登山口のGヒュッテに着いた。これでもう大丈夫である。私は女性たちから感謝の言葉を沢山頂戴しお別れした。ヒュッテでは先に下っていた仲間たちが待っていた。仲間たちに遅れた原因を一部始終、説明し待たせたことを詫びた。「コーヒーでも飲もうや」ということで、コーヒーを注文した。冷え切った体に暖かいコーヒーは格別であった。「さあ帰ろう」ということでお金を払おうとした。ヒュッテの主人が「お金はもらってあります」という。「どうして、、、」ときくと「先ほど帰られた二人組の女性が支払っていかれました」とのことであった。そこで私は殊勝な「誠実モード」から「みんな俺にコーヒー代よこせー」と豹変し、いつもの「顰蹙(ひんしゅく)モード」に戻ったのであった。目出度し目出度し。