敦亀通信

麒麟が来る

更新日:2021/02/08

大河ドラマ「麒麟が来る」は昨日終了した。年初から新型コロナ騒ぎで列島全体が機能不全に陥る中、スタートした日から1年以内で終了するという通常の期間を越えての終了であった。この1年、主を滅ぼした逆臣、明智光秀、現代ならば天才的な戦略経営者にもたとえられる織田信長、という人物のイメージが大きく変化したことであろう。荒廃した世を救う伝説の麒麟を追い求め理想と現実の狭間で最後に本能寺の変によって信長を滅ぼした明智光秀に多くの人は現在の厳しい世間を生き抜くべく苦しんでいるわが身を例え、光秀に声援を送った視聴者は多かったのであろうと考えられる。本能寺の変の原因はこの大河ドラマによっても明らかになっていない。これからも、このテーマを素材として多くのドラマや小説、歴史資料が出てくるであろう。しかし歴史はそれ以上真実を語ってくれないだろう。それよりも、誰もが「麒麟が来る」ことを信じて生きている。そういった多くの麒麟は「麒麟が来た、、、」と感じられ、そして次の瞬間(短いか長いか、は別にして)麒麟は消え失せ次の麒麟を追求するのである。麒麟こそ「理想を求める前向きの心」を形にしたものであろう。間違えてはいけないのは「自分は既に麒麟になった、自分こそ麒麟である」として世の中を惑わしたり組織を誤った方向に導き人を不幸に追いやることであろう。そういう思いがなかったら本能寺の変はなかったかもしれない。