敦亀通信

半藤一利さん逝く

更新日:2021/01/21

歴史研究者、半藤一利さんが亡くなられた。色々な著作のうち、「ノモンハンの夏」は私にとって心に残る1冊である。ノモンハンといってもお若い方には初めて耳にする言葉であろう。旧満州とモンゴル共和国の国境付近に位置する地名である。日本が太平洋戦争に突入する2年前、昭和14年5月にこの付近で国境紛争があった。元来、この付近は国境が不明確であり、双方が互いの国境線を主張しあっていたのである。今なら尖閣諸島で日中両国が同じような争いを続けている。ノモンハンでの小さな紛争が互いにエスカレートし同年9月中旬までモンゴル共和国を支援するソ連と満州国を支援する日本が激烈な戦いを繰りかえしたのである。この間、日本、満州両国で3万を超える将兵が死傷しソ連、モンゴル側でも同じ程度の死傷者が出たといわれる。結果的には日本、満州側がソ連、モンゴル側の国境線を認める形で停戦協定が結ばれたので勝敗は明らかではないがソ連、モンゴル側の勝利といえる。明治時代に日清、日露の戦争に勝利し軍事大国への道を歩んでいた日本にとっては厳しい教訓であった。「ノモンハンの夏」ではこうした戦いに至るプロローグから最前線での戦いや日本陸軍の戦略や戦後処理まで詳しく語っている。ノモンハン戦争については、この戦争を通じて日本陸軍が正しく学ぶことができれば、それ以降の歴史は大きく変わった、とされているが、不幸にもそれができなかいまま太平洋戦争に突入し大きな悲劇につながったとされている。「ノモンハンの夏」では当時の陸軍エリートについて厳しい批判を行っている。こうしたエリート意識は戦後も、旧帝大卒の高級官僚や一部の政治家が昔とは異なるがお役所や大企業に蔓延している。ノモンハンときくと私の心は、一種の興奮を感ずる。
多くの国民が事の本質を知らされることなくホロンバイル草原で尊い血を流し死んでいった。英霊は今も浮かばれていない。