敦亀通信
秋の日の破風高原
更新日:2023/10/17
10月12日(土)信州高山村 紅葉トレッキングの企画があり家族で参加しました。
「信州高山村古道復活みちおしえの会」スタッフがガイド役として参加者をサポートしてくれます。マイクロバスで1900m近くまで登ります。下界ではまだ紅葉は早いようですが、ここではダケカンバの黄色と赤く染まった楓が目を楽しませてくれます。
はるか彼方には槍ヶ岳、穂高、後立山等、日本アルプス連山が拡がって参加者の気分も最高潮です。
歩きやすい登山道があり、先行するみちおしえの会リーダーさんの案内で1時間程度のトレッキングを楽しみ毛無峠(けなしとうげ1823m)に到着です。この峠は、長野県上高井郡高山村と群馬県吾妻郡嬬恋村を跨ぐ峠です。「毛無」の名のとおり、辺りには木々が少なく、地面がむき出しの荒涼とした場所もあります。1916年(大正5年)より開始された硫黄の採掘に際し、精錬の燃料として用いるために樹木を伐採したことと、精錬時に発生する亜硫酸ガスが吹き付けられて樹木が枯れてしまい、附近一帯がはげ山になったといわれます。1937年(昭和12年)11月11日に大規模な地すべり災害(山津波[1])が発生し245名が死亡し住民は全て高山村等に移住し今では鉱石を運搬した鉄塔の残骸だけが残っています。この峠の歴史を聞いて「福井県にも同じような話があったな、、、」と感じました。福井県大野郡(旧)西谷村にあった面谷鉱山跡です。ここも銅の採掘で古くは平安時代から昭和初期まで栄えた鉱山でしたが今では訪れる人もない寂しい風景が拡がっています。災害があって多くの人が無くなったという歴史も同様です。1918年スペイン風邪が大流行し1か月余りで90数人の村人が死んだといわれます。鉱毒により付近の樹木や植物が枯れつくして無残な姿をさらしているのも同じです。かっては多くの住民が暮らし生活の喜びがあったという過去の繁栄を持っていたが現在では荒涼たる世界が拡がっている、という事実が多くの観光客を引き付けるのでしょうか。毛無峠で昼食となりました。私はコンビニで買ったお寿司を頂きました。昼食後、峠から続く破風岳(1999m)に登りました。ここも頂上までつづら折りの登りやすい登山道がつけられていました。破風岳から下山し峠に戻ります。峠は高山ドライブを楽しむドライバーやライダーの車が数多く行き交っています。
上州側をみると浅間山が聳え山の上空には特徴ある雲が浮かんでいます。
またいつか来ることがあったら是非来てみたいな、、、と思い、しかしその時にも是非元気な姿で来たいと心ひそかに願った次第です。楽しく幸せな1日でした。ありがとうございます。