敦亀通信

日々是好日と越後獅子

更新日:2024/01/04

 

新年明けましておめでとうございます。

お目出度いはずの元旦が阿修羅のような元旦となってしまいました。罹災者の皆様、羽田空港で殉職された海上保安庁職員の皆様に深い哀悼のまことを捧げさせて頂きます。こうしてご挨拶をさせて頂いている私の家でも家族が震災とは別に重大なトラブルが生じ緊急に病院へ行きました。幸い大事にはならず元気に帰ってきたのでホットした次第です。1月2日の休刊日が終わりましたが翌日1月3日も朝刊は能登沖地震と羽田空港での航空機事故で大きなスペースがとられていました。海外に目をやるとイランの殉教者追悼式典に爆発物が投ぜられ多くの人が死亡したとのこと、心が休まる時間がありません。昔からこの世は娑婆と呼ばれ我々が住む場所は忍土と呼ばれ無数の「生老病死」が漂っています。柴山全慶老師の越後獅子禅話を読んでみると、かくべかくべとあちこちの角先に招かれ村から村へと苦しい旅路を続けている芸人たちの苦労にたとえたお話が書いてありました。しかし驚くことに、謡曲「越後獅子」では、愚痴や悲嘆に明け暮れるみじめな毎日ではなく、苦難に悩みながらも、いそいそと「石橋(人生の旅路)を渡って行く風雅もの」と謡われているということです。ここで柴山老師は昔からある「日々是好日」という禅語を提唱されています。

老師はいいます。この一語は、ただ表面の文字の意味の如く「一日一日を好き日一日と感謝をして送る」という、倫理的というか処世的というか、多くの人々の考えていられるような、常識的な内容の語ではないのであります。、中略、日々是好日とは、どのように苦難の悪日であるとしても,「好・悪」の二つに左右せられない、何か別の、深い心の据わりがあって、泣きぬれつつ悲しみに溺れない、怒りつつ己を失わない、喜びつつ度を超えない、一次元高い、「浮き世を渡る風雅もの」の態度があるのではないでしょうか。(傍線部分は原文引用)

私たちも天災や戦災、生活難や人と人との争い、健康、死など様々な問題の中で越後獅子のように生きていますが、越後獅子のように何か別の深い心の据わりを求めて生きて行きたいものですね。私にとっては永遠の希望でしょうが、、、しかし越後獅子のように死ぬまで希求してゆきます。

明治初期の写真から   角兵衛獅子

右端の子は可愛くて幼少期の私に似ていると本人は思っていますが、今の私には天地の差があると他人は容赦ありません。トホホ