敦亀通信

新年初山行

更新日:2018/01/05

新年あけましておめでとうございます。今年も旧年同様よろしくお願い申し上げます。

正月の登山は1月2日、友と一緒に滋賀の山に登りました。翌日1月3日はすることもなく退屈なので二日続けて滋賀の山に登ることとしました。この日、目指した山は同じ滋賀県の賤ヶ岳である。その昔、柴田勝家と羽柴秀吉が天下を賭けて戦った古戦場として知られている山です。この山には観光シーズンになるとケーブルカーも動き観光客も多く訪れます。私はいつも賤ヶ岳北方に連なる大岩山のふもとから賤ヶ岳を目指す縦走路を利用しています。今日は生憎の雪模様、登っているのは私一人で気ままな登山です。先ず、JR余呉駅を過ぎ余呉湖を周回する周遊道路に入るとすぐに登山口があるので、道路脇に駐車し登山開始です。冬枯れの木立を抜け登ってゆくと10分ほどで稜線となります。木ノ本駅から続く道と合流し杉の植林帯を歩くこと約15分で安土桃山時代に活躍した戦国武将中川清秀の墓があります。柴田勝家と覇権をかけて戦った羽柴秀吉の先鋒としてここに砦を築いていたのですが、勝家方の佐久間玄蕃に攻められ全軍玉砕したといわれています。墓は以前と変わらず厳然として存在していましたが、昨年秋の台風21号によって墓の脇にそびえていた樹齢200年は超えるブナの大木が無残にも真っ二つに切り裂かれていました。自然の猛威の凄まじいエネルギーを前にして厳粛な気持ちを感じた次第です。復旧には相当の経費が必要となるでしょう。墓から南の方へ約1時間、ゆるやかな上り下りの連続で、やがて賤ヶ岳頂上直下の急登を経て頂上に到着です。頂上は積雪20cmぐらいで日本海からの猛烈な風と吹雪が舞っていました。普段は観光客で賑わっているのですが今日は誰一人としていないさびしい風景です。展望台の脇に賤ヶ岳の戦いを終えた武将の像があります。朝からの激戦を戦い終え幸いにも生き残った武将が兜をぬぎ、腰をおろして呆然とたたずんでいる姿を像にしたものです。戦いやんで、日が暮れて、、芭蕉の句に「おもしろうて やがて悲しき鵜飼かな」といいますが、命令するものと命令に従い働くものという構図は昔も今も一緒です。頂上に長居はせず、下山となりました。いつもは雪がないので転びやすく用心しながら歩く道なのに、今日のように積雪があると安心して降りることが出来ました。30分ほどで旧国民宿舎がある登山口に到着、雪の日の史跡めぐりが無事終了しました。

戦い終えて、、、、、

 

台風21号で引き裂かれた大木

 

 

 

 

 

 

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戦い終えて残るは、、、