敦亀通信

断捨離といいますが、

更新日:2017/11/22

日本国内における年間の食品廃棄量は、約2,800万トンといわれます。このうち、売れ残りや期限を超えた食品、食べ残しなど、「食品ロス」とよばれるものは約632万トンあるそうです。禅宗では食事の際、お茶碗に盛られたご飯から数粒を取り除き食後に祈りを捧げて小川などに流すことがあります。これはご飯を無駄にするのではなく、食物を大切なものとして作ってくれた人や神仏に対する感謝の気持ちを込めて餓鬼にお供えするということであり決して食物を粗末に扱うことではありません。

ところで、終戦後のことですが家の後ろには旧制高等女学校があり多くの女学生がここで学んでいました。彼女たちが毎日持参する弁当は今日のように卵焼きやハンバーグ、ハムといったものは一切ありません。誰の弁当も「日の丸弁当」といって、ご飯の真ん中に梅干が一つというのがお決まりでした。副食は精々たくあんが数切れといったところです。弁当を食べ終わると梅干の種が残ります。これを教室の窓から軽い気持ちで外へ投げ捨てる女学生もいたのかもしれません。当時5~6歳の私と2人の姉は、生徒が教室の窓から捨てた梅干の種を拾うことが楽しみでした。そんなことが何故、楽しみであったのかと思われるかもしれませんが、梅干の種の中にある芯(実)が我々にとって貴重な「おやつ」であったからです。種を持ち帰り金槌で硬い種を割ると種の中からさらに小さな芯(実)が出てくるのです。その実を食べると多少塩気の利いた美味しさが口いっぱいに広がるのでした。戦後、食料も十分でなく子供たちに「おやつ」なんて考えようも無い時代のことですから姉たちや私にとっては、これが素晴らしい「おやつ」でありました。だから種を一粒見つけると今なら100円硬貨を拾ったようなもので大変うれしいものでした。

あれから数十年が過ぎましたが、いまや私も食品浪費社会の一員になり平気でモノを捨てる風潮に染まってしまいました。モノが有り余っている時代です。私達が梅干の種を拾っていた情景は今もアフリカやアジアなど多くの国々で当たり前のように繰り返されているのです。私も食べ物に関しては賞味期限が過ぎていたり嫌いな物は食べないままにしておき結果として食品ロス増大に寄与しているようです。今後は昔の食糧事情を思い出して少しでも考え方を直してゆきたいと思いますが、正直なところ自信がありません。ただ、これだけは忘れずに実行いたします。食べ物を捨てざるを得ない時は食べ物、そしてそれを作った方々に感謝と御礼とお詫びをしたいと思います。