敦亀通信
「克雪」
更新日:2018/02/22
今年は56以来の37年ぶりという豪雪となった。38豪雪も未だ私の記憶には明瞭な記憶も残っている。38のときは2m以上の積雪となり大阪に就職した友達から屋根雪を下ろして欲しいと電話があった。ご両親が高齢であったので屋根に上って雪下ろしは困難であり、私の自宅から10Km以上雪道を歩いて雪下ろしに向かった。当時は車社会ではなく未だ18才ぐらいであった私にとってはこの程度の距離は歩くのが当然といった感じであった。今回は会社も数日間休業を余儀なくされたが56豪雪のときは積雪が1m90cmぐらいになったにも拘わらず会社が休業といったことはなかった。こうした原因は車社会の進展と雪に対する我々の思いが変化しているのかもしれない。その思いとは昔であったら豪雪は当たり前で多少の積雪でも驚くようなことはせず、ごく当たり前に考えていたように思う。加えて私の場合は年輪を重ねたことによる心身の弱体化である。昔であれば、どれだけ雪をスコップでかこうとも疲れを知らぬ身体であったが、最近ではスコップで息を切らして雪をかこい終わってからも肩や腰の痛みが我が身を責め続けるのである。かこってもかこっても、あたりが見えなくなるほど激しく降ってくる雪の中に身を置くとむなしさばかりが心に湧いてくる。作業中にこんなことも考えた。今、冬季オリンピックが開催されているが、あの人たちは雪や氷に対し人間生活や社会の進歩発展とは全く無関係なことを競っているのではないだろうか。バイアスロンは国境を守る警備兵であれば雪上の敵を正確な射撃で狙撃する、ということでお役に立てる。ノルディックスキーなども車が無い雪原で物資配達などをする際、長距離や坂道であっても立派に任務をこなすであろう。しかしジャンプや空中での回転、曲芸的なスキーやスノボなどはどうであろうか、何かのお役に立てるか?といった場合、かなり無理がありそうだ。しかしこうした種目も人間の努力を極限まで進めることで素晴らしい演技やプレーができる、ということを世界の人に教えてくれると共に大きな勇気と感動を与えることが出来るという点では素晴らしいことではないだろうか。だからこそTVで同じシーンが何度も放映されるのだろう。今年の豪雪では福井県内で9人の尊い犠牲者が生じた。雪国の人間として感ずることは雪というものが今年のように度を越せば決して遊びや芸術、スポーツの対象であったりするものではないと思う。「克雪(かつせつ)」という言葉は雪を克服するという意味である。そうした場合、スコップをもちママさんダンプを押しながらの雪との戦いを正式なスポーツ種目に取り入れたらどうであろうか。学校では肩や腰をこわさず上手に雪かきをする正しい方法を教え、クラブ活動にも取り入れたらどうだろうか?雪国では3月一杯までグランドも使えない。その結果、一部のスポーツ校を除き野球の強い高校は少ない。除雪を中心として雪と拘わりあう色々なスポーツを創ってみたらどうだろうか。除雪のスピードや量を競う種目があっても良い。雪合戦などは単調な遊びだが雪で砦を作りサッカーやラグビーのように役割を決めて多様なルールを考えてみると面白い団体競技となるはずであろう。冬のトレーニングなどは若者が不足している雪国のお年寄り宅の除雪や雪下ろしをすればトレーニングとボランティア奉仕の両立が出来るはずだ。受け入れ側でもこうした若者に宿を提供し温かい味噌汁やおむすびなどを一緒に食べながら若者との心豊かな交流が出来るであろう。スポーツは互いに能力を競い合うものを「競技」とよんでいる。除雪を中心とするスポーツは互いに心を通わせるものであるから「協技」とよんで見たい。こうした楽しい想像を除雪の合間に考えた。