敦亀通信

状況に応じ即、反応

更新日:2021/02/15

今を去る60年近く、私は神戸港でアルバイトをしていた。ワッチマンという仕事である。
神戸港には様々な船舶が行き来する。大きなものでは航空母艦から数万トン級の船舶と大小さまざまな船があった。そうした船の中でも貨物船の割合は多くて、諸外国から多くの貨物を積んで第五、第六突堤に入港していた。こうした船はかなりの大きさであり、船腹(ハッチ)と呼ばれる縦、横、深さが2~30mのスペースに貨物を満載していた。このようなハッチが1隻の船に数個あったと記憶している。こうした船腹から甲板上に据え付けられているクレーンで台の上に乗せられた貨物を吊り上げ突堤に運び下すのである。こうした作業は機械だけでは不可能である為、沖中士と呼ばれる作業員が船腹ごとに配属され作業に従事していた。当時、彼らは大阪の西成をはじめその日暮らしの労働者が多く住む地区から集り、1日の仕事を得ていたのである。そのような臨時雇いの人たちに作業をさせるということは危険防止や貨物の安全確保のために見張りをする人間が必要であり、それをワッチマンと呼んだのである。当時、私のほかにもワッチマンをアルバイトとしてやっている友人がいて紹介されたのである。労働基準法などという考え方はなくて夕刻5時か6時ごろから朝まで、約12時間勤務で1日1,500円~3,000円程度の賃金だった。今から考えると信じられないほどの低い賃金だが、これでも当時のアルバイトとしては高いものであった。しかし自ら重いものを運んだりする重労働ではなくて、単なる見張りだよ、といわれたので気軽に引き受けたのである。先ず仕事始めは甲板からハッチへ降りてゆくところから始まる。甲板からハッチの底へと降りてゆくのは垂直の鉄製梯子を使う。降りてゆくと意外に深くて底にたどり着くと甲板が張るか頭上になり大きく感じられたクレーンが小さく見える。ハッチには10人ほどの作業員が貨物を取り出しクレーンに取り付けられた台に乗せ網やロープで固定させクレーンオペレータに連絡する。連絡を受けたオペレータはクレーンを操作し貨物を引き上げ船外へ運び込むのである。ワッチマンの仕事は、彼らの作業を見守るだけなので退屈である。時間が経つのが遅く感じられ、それが大変苦しいことであると知ったのである。何時間か経ったころ、ワッチマンの任務が試されることとなった。30~40がらみであろうか、一人の作業員がやおら立小便を始めたのである。みんなから離れた隅での行為とはいえ私は許さなかった。「おっちゃん、こんなとこで小便したらあかんで、、」と厳しく注意したのである。私は個々の作業員に強く威信を示せば、言うことに従うと思っていた。このため、生意気な態度で注意したのである。注意された男は私に開き直った。「おい、あんちゃん、ここはハッチの中やぞ、無事で上に上がれると思っとんかいな」と私にきつい言葉を返した。当時20歳そこそこであったが、状況が圧倒的に不利であると、即時に反応した。確かにここは地獄の八丁目、ヤバイ、すかさず「ここで小便されると自分の立場が悪くなってしまうんで、大変申し訳ありませんが、決められた場所でやってくれませんか」半ば哀願に近いモードで丁寧に頼んだところ「分かった、あんちゃん、お前はもの分かりがいいのう、今晩一緒に飲みに行こうぜ」と誘われたのである。「今日は都合が悪いんで、又、都合のいい日に」と言って断った。良く言えば状況を判断し柔軟で現実的に対応するという仕事のやり方がこのときからはじまったのであろうか。しかし、この年になって、貴重な人生の中では、あえて正しさを追求しなければならないことも痛感している。そのときはまだ来ていないがいつの日かくるであろう。