敦亀通信
己高の春
更新日:2019/05/17
街の桜はもう散ってしまったが湖北は花が真っ盛りである。友と己高(こだかみ)山に登った。体力と時間に余裕があった頃は己高庵(ここうあん)という地元の温浴施設の近くから登り頂上を経て南へ進み石道(しゃくどう)寺に降りてくる縦走コースをたどるのが普通であった。しかし、今は頂上を目指すことを目的としないで時間で行動するという楽を覚えてしまった。今日は昨日の曇天から一変、青い空と春の陽光が.我々をやさしく包んでくれる。午前7時30分、ゆっくり登り始める。昨夏の台風であちらこちらの樹木がなぎ倒されともすれば正式なルートを踏み外しそうになる。 すこし行くと桜が咲いていた。見事な桜である。しかし、台風で隣に生えている木がなぎ倒され、この桜に倒れ掛かってきている。このため桜の木は先端から大きく引き裂かれて人間で言えば瀕死の重症といえるだろう。しかし、桜は折れてしまった部分も本体も見事に花を咲かせている。自然の力の偉大さを感じながら美しい花に見とれてしまった。しばらくいくとぶなの木があったが、この木も、隣の木が倒れて同じく倒されていた。ただ、ぶなは桜と違って大変柔軟である。桜は大きく引き裂かれていたがぶなは弓なりの状態でこらえていた。この木も苦難に対し柔軟にしぶとく生き残ってゆくであろう。次に目にしたのはぶなの巨木である。直径は1.5mはありそうだ。この木にも台風で飛ばされた他の木が襲来している。しかしこれだけの巨木になるとびくともしない。自分の枝に飛んできた木を軽々とぶら下げている。すごい力!冒頭の桜が耐え忍ぶことを教えてくれたが、こちらは苦難を楽々受け止めるための力を養うことの大切さを教えてくれた。
やがて高尾寺へ降りる分岐に来た。今日の登山はここまでとし、一路高尾寺跡に向かって急な斜面を慎重に下ってゆく。やがて高尾寺跡に着いた。このあたりでも標高は500mはありそうだ。やがて樹齢1000年以上はある杉の神木がある。最澄大師のお手植えという伝説が真実ならば1200年であろうか、堂々たる姿で見るものを圧倒する。ここで今日の昼食をとった。女人禁制、精進料理の境内でホルモン鍋とする。歴代の住職様、どうぞお許しください。昼食を終え高時川の源流を右に見ながら石道寺を目指す。昨年はサワオグルマが一面に咲いていたが、今年は未だ早いのだろうか、あたりは新緑一色で心地よい下りである。やがて石道寺に着いた。観音様目当ての観光客も着ているのだろうか、駐車場には数台の車が駐車していた。石道寺から己高庵を目指しゆっくり歩いてゆく。ここらは古橋茶の本場であり、茶畑が広がっている。三献(さんこん)の茶といえば、石田光成が秀吉に捧げたお茶に始まるいわれは誰もが知っている。その折出されたのは、おそらく古橋茶でなかっただろうか、、、己高庵ではお風呂が貸切状態で名物のハーブ湯を堪能した。