敦亀通信

京は遠おても十八里

更新日:2017/10/17

京は遠ても18里」と彫られた石碑が小浜市の中心部に立てられている。月日の経過で文字も大分薄くなっている。若狭湾に面する小京都、小浜の人たちは遠い京都を身近に感じていたのであろう。日本海の海の幸は奈良平安の昔から峠をいくつも越えて運ばれていたのである。

夏も終わりに近い8月23日、若狭と京都の境にある百里が岳を目指し鯖街道を越えてみた。国道27号線を敦賀から西を目指し走ってゆく。小浜市に入ったと思われる頃、根来坂を示す標識があり左折する。お水取りで有名な鵜の瀬を通過すると道は細くなり付近の景色は限界集落の様子を見せ始める。

やがて鯖街道は根来部落に着きここから山道が続いてゆく。根来は「ねごり」と呼ばれ和歌山の集落に住む根来衆(ねごろしゅう)とは違っている。小浜を出てここまでは平地を10kmぐらい歩き、ここから山道が続くことになる。京を目指す人はここ根来で一休みをするか一夜の宿を借りたのであろう。ここまで来るのも車でも30分はかかっている、昔は徒歩であっただろうから数時間はかかったに違いない。

空き地に駐車し身支度を整えた。今日は友と2人での気楽な山行である。例年には見られない猛暑の連続であり今日も厳しい暑さである、ゆっくり登ってゆこう。登り始めて気がついたが、この山道はなんと穏やかな勾配であろうか。通常、山道というものはつづら折りで勾配をゆるくしてあるので楽に登ってゆけるのであるが、ここの勾配は通常より更にゆるいのである。だから疲れは出ないが中々高度を稼げない。周囲はぶなやならの広葉樹が多く日差しを遮ってくれる。

昔の人たちが鯖街道をどうやって歩いたのかを想像しながら山道を歩くこととなった。往時は背負子に負えるだけの鯖を背負ってこの坂をこえたのであろうか。私が背負っているリュックサックはせいぜい10kg内外である。昔の人は私の3倍、30kgは背負ったのではなかろうか。鯖に塩をふりかけ1昼夜おくと良い塩梅になるといわれている。1昼夜、鯖街道を歩きとおして京都に着いて「小浜の鯖はいらんかねー」と一軒一軒売り歩いたことであろう。履物も違う、今は山道を軽快に歩ける登山靴であるが昔の人はわらじが正規の履物であったに違いない。おそらく京に着くまでに3足は履きつぶしてしまうだろう。違いはまだまだある。今、私が着ている物は通気性のあるシャツ、これに対し昔は木綿や麻の着物である。毎日食べるものはカロリーが高い美味しい弁当であるが昔は梅干と漬物とおむすび、飲み物は体内の血液バランスがとれるスポーツ飲料、これに対し昔はお茶と、、、考えればキリがないほど私たちは恵まれている。昔の人たちの我慢強さと偉大さに頭が下がる思いである。その原動力はどこから来るのであろうか、素朴な疑問がわいてくる。当然、それは生活の為であろう。今であれば、地方から新幹線や飛行機で都会へ営業に行くことも多いが根本は変わっていないはずだ。

山道を歩き出して15分も経っただろうか。お地蔵様が道の端に立っている。多くの旅人はここで一休みをしたのであろう。傍らに古井戸もあった。中を覗くと数メートル下に水が見える。昔は人だけでなく馬や牛もも飲んだことだろう。さらに登ってゆくと突然、それまで歩いていた鯖街道は自動車道にさえぎられてしまった。鯖街道を横切って滋賀、京都方面への林道が続いているのである。この林道に沿ってしばらく歩いた。樹林を伐採し切り開いた自動車道であるから歩いていても日差しも強く趣がない。しばらく我慢をすると再び鯖街道に入ることが出来た。乾いた雰囲気の自動車道から鯖街道に入ると何か心も落ち着き疲れも抜けてくるようだ。木々の間から涼しい風も吹いてくる。左手を見ると目的の百里ケ岳の頂上が見えはじめ根来峠に着いた。ここでもお地蔵様が迎えてくれた。峠で道は3方向に分れる。右方向へ進むと小入峠(おにゅうとうげ)から三国岳へと続く高島トレイルである。左方向は同じく高島トレイルであり百里が岳に続いている。真ん中の道が朽木へ降りてゆく鯖街道である。根来峠は高島トレイルが80kmにわたり続いている中央部に位置しているわけだ。今日はゆっくり歩いたので百里が岳は止めておこうということになり峠で昼食をとることとなった。

みると、お地蔵様のお世話をされている人がいた。年のころは70歳をいくつか超えているようであろうか。明日は8月24日地蔵盆にあたるので周囲の清掃とお供えを持ってきたという。この人に色々と話を伺った。聞けば根来の部落からきたという。昔はこの峠を越えて小入谷の部落へと行き来が多かったらしい。娘さんが小入谷へ嫁いでいるとのこと、以前は峠の反対側に住む住民交流も盛んであり姻戚関係も多いらしい。ついで自然環境の話に移った。今、この場所に樹齢数百年の大木が残っているが戦後、周囲の山に生えていた原生林は殆んど製紙会社によって伐採されてしまったとのことらしい。そういえばこの場所から西へ向うと京都大学の演習林があるが、そこの樹林は伐採されなかった為か、巨木が一杯残っている。又、高島トレイルの特徴でもあるが、樹下の茂みが少ないのである。これは増えすぎた鹿による食害であるという。この付近は近畿北部に位置し比較的に気候温暖で鹿が異常に増えているという。地表に生える豊富な植物は殆んど食べつくされ残っているのは毒草のトリカブトやシダ類だけである。人間の目から見るとそれはそれできれいであるが、自然界のバランスを考えると気になる現象だ。熊も多くすんでいて杉の樹皮をむいて木を丸裸にしてしまうので地元民からは嫌われているとのことだ。杉の木をビニールテープで巻いてあるのはこうした被害を食い止める為にしているとのことである。「よく熊がわなにかかり檻に入れられたまま奥山で放されるニュースを見るが、あんなことは馬鹿げたことだ。」と断言し山を降りていった。あたりは再び静寂になった。巨木の下で座っていると日本海方面から涼風が吹いてきた。友と二人、昔の鯖街道の通過点である根来峠の雰囲気に浸りながら食後のコーヒーを楽しんだ。