敦亀通信

極限の場では、、、

更新日:2017/10/05

禅の訓えに「自未得度、先渡他」という言葉があります。己が渡る前に他人を渡せ!といいます。ここで渡るという事は、こちらからあちら(彼岸)へわたることですが、般若心経には「五蘊皆空度一切苦」とあり五蘊皆空とはすべてのものは空であると悟り一切の苦労を度(解決)できるということと思います。だから「いつも他人の幸せ先にし、自分のことはその後にする。」という意味とも思います。私自身できるだけそのように生きてゆこうと思っていますが、現実的には全くできていないようです。何十年か前の春、友人を含め4人で登った山での経験が私自身の真実を教えてくれました。早朝、約2,500mの山頂を目指し山小屋を出発しました。前夜からの冷え込みでカチカチに凍り付いた高度差500mの大斜面が我々の前に立ちふさがっています。山頂へはこの大斜面を越えて行かねばなりません。この斜面は夏場には九十九折の道が幾重にも続いており、危険はありませんが相当なエネルギーと頑張りを要求されます。この日、下界は春でしたが山上は深い残雪に覆われて斜面をまっすぐに直登するより他は無いのです。カチカチに凍った斜面を直登するにはピッケルとアイゼンが必要です。4人一緒に昇り始めたのですが、いつのまにか夫々が離れ離れになってしまいました。途中あまりの苦しさに休息しました。稜線まではまだまだあります。下を見ると自分が登ってきた大斜面が足元に広がっています。足を滑らせたらおそらく下まで滑落し大怪我、運が悪ければ助からないような怖い場所でした。近くに同行のAさんも休んでいました。ふと、Aさんをみるとストックで必死に身体を支えています。ハイキングで使うストックでは凍った雪面に歯が立たないのです。おまけにアイゼンは装着しているものの本格的なアイゼンではなく低山で滑り止めに使う2本爪です。これでは凍った雪面の雪をしっかりと踏みつけることが困難です。Aさんはストックで一生懸命身体を支えていますがストックと滑り止めだけでは身体をしっかり確保できません。見ていると登山靴が下方へ少しづつ滑り気味であり、全力で身体を支えている状態でした。幸い私はピッケル、アイゼンと滑落防止の道具を2つ持っています。アイゼンだけでも貸してあげたらAさんの苦労と恐怖は軽くなり、私もピッケルだけで登ってゆけるはずでした。私自身、困っている人の味方をするんだ、と自分にも他人に対しても公言していたのですから、こうしたときこそ進んで援助すべきでした。しかし、、、、それができませんでした。なぜなら私にはアイゼンを人に貸し与え、ピッケルだけで斜面を登ってゆくだけの勇気がなかったのです。命がけの極限状態で「見て見ぬふり」というあまりにもおぞましい態度に終始したのです。結果的にはAさんの必死の頑張りで事なきを得ました。それから数十年が経過しましたが、あの経験がいまも脳裏から消えません。雪山だけではありません。人間社会で生きているとこれに良く似た色々な場面に出くわします。人間いざとなったら勇者になれるか逆に卑怯者になるか、、、こうした苦い経験から、次の機会こそ、いや次などといってはおれない残り少ない年齢になってしまいましたが、前の失敗を生かし勇気ある心を持ちたいと願っている今日この頃です。