敦亀通信

素人キノコ採り

更新日:2018/12/21

異常気象といわれる今年、野山の植物にもいつもとは違う気配が感じられる。

私は低山歩きが好きで滋賀県から福井県にかけて標高500~700mぐらいの山々を友と一緒に歩いている。いつも集合は午前5時と決めており12月も半ばを過ぎた今では真っ暗な国道を早朝に走ることとなる。車中では、男同士なので会話は少ない。双方30分たっても、しゃべりたくなければ、何の会話も交わさない。これだけ無言が続くとお互い、「今日は何か気にいらないことでもあるのかな、、、?」と考えるところだが、我々の間ではそんな心配は一切無い。用事がないから、しゃべらないだけだ。いつも滋賀方面を目指すのだが、どこの山に行くかは決まっていないのである。さすがに敦賀付近まで近づくと、西の方(若狭方面)へ行くのか南の方へ行くのか、今日登る山を決めねばハンドルの方向も定まらない。どの山にするかは、色々な山から、その日の天候や、体調などで決めている。しかし、別の理由で決めることがある。それは春であれば山菜、秋から冬はキノコである。特にキノコは二人ともシーズンになると目つきが変わってしまうほどである。勿論、山そのものの楽しみもあるが、心は常にキノコを探しつつ登って行く。特に、枯れ始めた太いナラの樹があると、キノコを探して目はらんらんとなり少しの隙もない状態になっているかもしれない。キノコは梅雨も長雨が終わった夏ごろから始まるが、多くは地上に生えており正体不明のキノコであり恐ろしくて私には手が出ない。9月のはじめから中ごろは運がよければ古いミズナラの切り株などにマイタケが見つかるときがある。見つければ、うれしさに舞い踊る、というが正直、うれしいとは感じるが舞うことはしない。マイタケのシーズンはすぐに終わり次はムキタケやクリタケのシーズンとなる。ムキタケは毒キノコのツキヨタケと似ているので注意を要するが、においが悪く、二つに切り裂いた時、根元が黒っぽいのがツキヨタケであるという相違点を熟知すれば間違うことは無い。クリタケもニガクリタケという猛毒のキノコがあるので要注意である。例年は11月にはナメタケ(ナメコ)のシーズンになるが今年の異常気象で1ヶ月は遅れているようだ。ナメタケの後はカンタケ(ヒラタケ)のシーズンであるがナメタケと同じ時期に取れだし翌年2月中旬まで続く。ナメタケは市販されている養殖ものに比べ傘も大きく味噌汁には最高である。しかしなかなかありつけないのが実情である。ヒラタケは何故だか知らないが、ナラの樹木の高い部分になっていることが多い。5mもある高所で沢山のヒラタケがこれ見よがしに我々を見下ろしている。「どうだ、届かないだろう、、、」といっているようだ。こんなとき二人とも猛然と闘志が湧いてくるのである。あちこち歩き回り長い枯れ枝を捜してくるのである。重くて長い枝を両手で支えようやく枝先がヒラタケに届く。ヒラタケは別名、寒茸と呼ばれ寒風によってコチコチに凍り樹上にしっかりと根を下ろしている。そのヒラタケを下からこつんこつんとつついてやると大概のヒラタケは落ちてくるのでそれを取り集めるのである。しかし、時としてびくともしないヒラタケもある。こうしたときは、こちらも必死となり手荒な振舞いとなる。表面をたたいたり、ヒラタケを砕いたりしてまさに戦いである。旧軍隊の軍艦マーチ「攻めるも守るも鉄の」のリズムよろしく攻防を繰り返す。最後に「我はたたえつ彼の守り、彼はたたえつ我が攻めを」旅順攻防を繰り返したステッセルと乃木将軍に思いを馳せるほど楽しいひと時である。こうして書いてみると、私がキノコのベテランでいつもキノコを採れている様に感ずるかもしれないが、まったく反対である。視力は近視でキノコがそばにあってもさっぱり気がつかない、といった状態であり、キノコをいっぱい採りたいという願望はいつも夢に終わっている。但し、理論派であることは間違いない。相棒がキノコを見つけるとキノコの専門書で見たキノコに関する知識やイメージを働かせて鑑定?するのである。キノコは店で買えば確実なのだが明日も目をサラにして山道を登っていることだろう。