敦亀通信

湖畔の宿

更新日:2021/08/04

木ノ本トレイルという山並みがある。滋賀県木之本町から福井方面に北上し今庄町まで多くの山並みが続いている。中には横山岳のように1,000mを越える山もあるが多くは1,000m以下で比較的穏やかな山々が連なり熟年者向きの山々が多くある。

しかもこの付近は織田信長、豊臣秀吉、朝倉義景、浅井長政、柴田勝家等の戦国期から安土桃山時代に活躍した武将達が繰り広げた古戦場も数多くあり、歴史フアンにとっては最高に楽しめる地域であろう。今日はそうした歴史の話ではなく、日本最大の湖、琵琶湖の近くにある小さな湖、余呉の湖(余呉こ、余呉のうみともいう)の話である。豊臣秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳(しずがたけ)の西に拡がる広大な琵琶湖、東にひっそりと位置する余呉湖は琵琶湖の名声に隠れて咲いている小さな野の花のように見える。しかし1583年秀吉と勝家との間で信長の後継を決める、賤ケ岳の戦いがあり湖畔では血みどろの戦いが繰り広げられたという。しかし今は水鳥が無心に遊ぶ平和なたたずまいである。周囲は6kmあまり、春には湖岸に咲く菜の花と桜が彩を添えてくれる。1時間そこそこで周回でき、付近の山々と湖の景色が歩く人に何とも言えない安らぎと癒しをあたえてくれる。以前は国民宿舎があって宿泊もでき快適な入浴も楽しめたのであるが、数年前に取り壊されている。しかし桜が終わった後は、黄色一色のサワオグルマが群生し訪れる人は春に酔いしれる、と思うのはわたしの思い過ごしか。湖岸での釣りやキャンプを楽しむ人もいる。冬場にはワカサギ釣りが楽しめ京阪神や中京方面から多くの釣り人が訪れている。ところで、天女の羽衣伝説は遠くの伝説と思っていたが、余呉湖畔にもあった。それも、3つあるのだから恐れ入る。そのうち一つは、余呉湖畔の川並地区出身である菅原道真公までからんでいるのである。詳しくは、「余呉湖」「天女伝説」で検索してみると余呉の観光情報として掲載している。興味のある方はどうぞ。余呉湖を訪れると、往年の歌手であり女優でもあった高峰三枝子さんが歌っている「湖畔の宿」を口ずさむ。この歌は現在の歌謡曲が失ってしまった、素朴でしみじみとした情感を感じ、ひと時の幸福感に浸れるのである。数年前、信州の田舎でウオーキングの企画があった。50名ほどの参加者が10数キロの健康ウオークを楽しむ集いである。参加者は殆どが50台以上の熟年者や高齢者である。山々を歩きながら途中で休憩をしたのである。参加者は友人や夫婦連れが多く思い思いに食事を広げている。すると私の近くで突然、メロディが流れ始めたのである。その曲は、忘れもしない「湖畔の宿」であった。私の隣に座っている夫婦の夫と思われる人がハーモニカを口にして吹いていたのである。その人も老齢に差し掛かっていて、こうした懐メロはお得意なんだろうと感じられた。ハーモニカの演奏は専門家が聴くとおそらく厳しい批評も出るかもしれない。しかし私にとっては素晴らしい名曲であった。山の中で周囲はブナやナラの木ばかりで、湖なんて見えない。しかし私の心にはいつも歩いている余呉湖畔の情景がいっぱいに広がり曲が終わった時には心から拍手を贈ったのである。その人の名も知らずに数年が経過した。あの人は今でも、どこかで湖畔の宿を演奏しているかな、、、と思う今日この頃である。