敦亀通信

梅雨明けの賤ヶ岳

更新日:2022/07/19

とっくに明けたはずの梅雨が日本列島をすっぽり覆っているようです。なんとか今日一日は曇り空、登山もOKでしょう。6月末からの猛暑で山行も自粛していました。ここらで山に行かねば男がすたる!とは言いませんが、日々衰えつつある体力もさらに消耗するかも、、、という恐れ半分と楽しみ半分で滋賀県、賤ヶ岳を目指しました。福井からは8号線を武生方面へ、途中365号線で今庄を目指します。365号線は木の芽峠の手前で栃木峠、そして木ノ本町へと続きます。木ノ本町の中心部に入る手前で余呉湖方面に右折し余呉湖の湖畔道路を進みます。余呉湖から賤ヶ岳へ登るルートは2通りあります。余呉湖観光センターの近くから岩崎山を経て頂上へ進むルートと、さらに南下し今は撤去されているが(元)国民宿舎が建っていた横から頂上へ続く道がある。今日は久しぶりの山行なので短いルートを登ります。車を国民宿舎の跡地に駐車する。前を見ると余呉湖から対岸の川並集落がかすんで見え、上空の雲が鏡のような湖面に映り、幻想的な世界が拡がっています。何度も何度も見ている景色ですが、いつもいつも千変万化飽きることがありません。早速、身支度を揃えます。同行のTさんをみるとレインウエアに長靴姿です。今日は降っていないのでレインウエアも長靴もやめて普通の恰好にしようとしましたが、山の稜線に雨雲がかかり,雨に合うのは必定である!とのご託宣です。ここは彼に合わせ私もレインウエアと長靴にしました。

さあ出発です。このルートは途中に峠があり、峠を下ってゆくと琵琶湖側の飯浦地区へ通じる古くからの生活道でもあったのでしょう。登ってゆく道は数日前の大雨で濁流になっていたのでしょうか、道々いたるところに流れ落ちてきた木の枝や泥流の痕跡が見られます。とはいっても歩くのには差し支えなく一歩一歩歩みを進めて行きます。こうした歩き方では若い人に追い抜かれるのは必定です。案の定、しばらく行くと後ろから若い人が健脚を活かして登ってきました。「どうぞ!」と道を譲りながら「縦走するの?」ときくと「はい」という返事です。「賤ヶ岳ごとき?の山なら頂上折り返しなんて面白くない」ということでしょうか。まったくそうでしょうね。私らも若い時は、、、、というような思いもありますが、これが現実で、声にもなりません。登るにつれて、全身に汗をかき始めました。しかしペースをゆっくりにしているので、辛さは感じません。やがて飯浦越えの峠に着き、一休みです。3年前の冬は豪雪でしたが峠越えで飯浦へ下りました。途中、鹿が5~6匹飢えと寒さにやられて死んでいたことを思い出します。峠から頂上にむかい約20分、ようやく頂上に到達しました。展望台から、琵琶湖が見えます。

竹生島がぽつんと見えます。こちらも余呉湖に負けない風景でした。賤ヶ岳は古戦場です。今を去ること、わずか450年前、本能寺で斃れた信長の跡目を決める戦いがこの山であったとは信じられない平和な風景です。木ノ本町を見下ろせる一角に戦いを終えた秀吉方の武将が一休みしている像があります。

はるか彼方、ウクライナでの厳しい戦争に思いを馳せました。この武将の姿をウクライナとロシア、両軍の兵士に見せてあげたいな、、、と思います。戦争は、民衆にとっても、また実際に命を賭して戦う兵士たちにとっても絶対やってはならないものだ、と思います。