敦亀通信
昭和生まれ
更新日:2018/07/25
私は昭和、それも戦中の生まれである。最近自分の年を気にし始めている。20数年前、15歳年上の友と、勝山市の平泉寺地区にあった老人保養施設で「第14回平泉寺同窓会の詩」という詩が壁に掲示されていた。作者は永井禅峰という方であった。詩の内容は作者が辿った素晴らしい一生を読む人にとつとつと語りかけるものであった。事務所におられた方も高齢者であったが私達に対し詩のコピーを提供してくれた。当時の私は50代で元気な盛りであったが詩の素晴らしさは十分理解できた。20数年の星霜が移り私も当時の作者と同じ年齢になったのである。そういうことで、永井さんの詩を参考に私なりの詩を作ってみた。永井さんの詩の素晴らしさには到底およびも付かないが恥を偲んでご紹介した次第でありどうかお許しいただきますよう伏してお願い申し上げます。私の技術力不足でスマホからは詩を見ることができません。申し訳ございません。
一 昭和生まれの俺達は 二 昭和生まれの俺達は 三 昭和生まれの俺達は 四 昭和生まれの俺達は
明治、大正生きてきた 戦後の混乱ただ中で 世界に冠たる国づくり 喜寿になっても元気者
頑固な親父に鍛えられ 配給食糧闇物資 政治経済コンピュータ 経験豊富な高齢者
それでも家庭は温かく それでも時代は民主主義 厳しい社会の荒波を それでもまだまだ未熟者
わずかな食物分け合って 自由民主に人権が ただひたすらに三十年 米寿卒寿に白寿待つ
家族同士が助け合う 最も大事と教えられ ふと気がつくと還暦が まだまだやらなきゃ老年期
幸せだったな幼年期 希望があったな青春期 とっくに過ぎてる老年期 健康長寿に花が咲く
ちなみに永井禅峰さんはご存命か否か分かりませんが、氏の格調高い 原詩をご紹介しましょう。
第十四回平泉寺校同窓会の詩 永井禅峰
一.大正生まれの俺達は 二.大正生まれの俺達は 三.大正生まれの俺達は 四.大正生まれの俺達は
明治の親父に育てられ すべて戦争のただ中で 再建日本の大仕事 喜寿になってもいい男
忠君愛国そのままに 戦いごとの尖兵は 政治経済教育と 子供も今ではパパとなり
お国のために働いて みな大正の俺達だ ただがむしゃらに五十年 可愛い孫も育ってる
みんなのために死んでゆきや 終戦迎えたそのときは 泣きも笑いも出尽くして それでもまだまだ若造だ
日本男児本懐と 西に東に駆けまわり ヤット振りむきゃ乱れ足 米寿、白寿が待っている
覚悟を決めた同窓生 苦しかったぞ同窓生 まだまだやらなきゃ同窓生 頑張ろうよ同窓生
平泉寺校第九期同窓会