敦亀通信

友を見舞う

更新日:2024/12/11

遠い昔、卒業してからも5人の友と一緒に年に数回、旅行していた。しかし年を重ねるに連れ2人の友が逝ってしまった。東京に住んでいるAは普段から病弱で入退院を繰り返している。したがって彼とは音信不通である。倉敷市に住んでいるNは仲良くさせて頂いていたが、糖尿病が進行し足の指を切断され人工透析中である。おまけに、最近になって心臓の大動脈瘤ということでバイパス手術を受けたらしい。見舞いに行くべきかどうか迷っていたが、ある朝早く起きた時「見舞いに行こう!」という気持ちが体の奥から出てきた。すぐに家内を呼んで「今日今から倉敷へ行く」と宣言した。家内もびっくりしたが私と友の関係を知っているので快く賛同してくれた。沢山のお灸と皮内鍼を袋に入れショルダーバッグに詰め込んだ。これらは皆、彼の苦痛を和らげるためのものである。私が他人である彼に鍼や灸をするのは法律上できない。彼がそれらの効能を理解して自分でするのであれば構わないとされている。他に彼に読んで欲しい文庫本を2冊持った。福井駅まで家内に送ってもらい新幹線つるぎに乗車した。さすがに新幹線である。敦賀まで20分である。そこからサンダーバードに乗り換え新大阪まで、そして山陽新幹線のぞみで岡山に着いた。そこから倉敷までも近かった。彼に到着時間を連絡してあったので駅まで迎えに来てくれた。足の指切断という手術を受けたにも拘らず乗用車で迎えに来てくれた。再会できた喜びもそこそこに倉敷名物の景観地区を見学させてくれた。思えば15年以上前、山友達が岡山に転勤したときここを見学したことがある。あの時の自分は若々しく溌溂としていた。この景観地区に来ても「観光名所の一つに来ただけ」という思いであった。しかし今回は後期高齢者エイジをはるかに超えている。多くの観光客と一緒に歩みながら複雑な気持ちであった。景観地区を後にして鷲羽山に向かった。大規模な工業地帯である水島地区を経由し鷲羽山の駐車場に車を止めた。そこから展望台まで少しではあるが歩かねばならない。友の歩調に合わせ石段をゆっくりゆっくり登って行った。突然一人の女子高生が私の背後に着いた。「おじいさん、よろしかったら手をひきますよ」正確には覚えていないが、このような言葉であった。私はすかさず「ありがとう、僕はゆっくり歩けるので大丈夫です」と答えた。彼女は「そうですか、お気をつけて」と笑顔で通り過ぎて行った。私は幸せな気持ちで一杯になり心の中でつぶやいたのである。「ありがとう、あなたのような女学生が一杯いるんですね。」勿論、客観的に見れば私が石段を登ってゆく姿は危ういものであったのだろう。だから彼女は思わず声をかけてくれたのだろう。やがて展望台に着いた。持参した弁当を二人で頂いた。はるか前方には瀬戸内海がひろがり多くの船が行き来している。昔好きだった童謡「未完の花さく丘」のメロディを心の中で口ずさんだ。友も喜んでくれたようで私も幸せな気持ちに包まれた。そろそろ帰る時刻となり岡山に向かった。途中、友がある店の近くで車を止めた。「この店、たい焼きが美味しいぞ、持って帰れ」という。店頭には順番待ちのお客さんが一杯いた。美味しいモノには目が無い。沢山の熱々たい焼きをお土産に頂戴した。再会を坦々と味わい人生を楽しんだ一日である。まてよ、、、今日一日、私が「友を見舞った」と思っていたが私が友から見舞われたのではないだろうか、、、、どっちにしても感謝