敦亀通信

人は世につれ世は人につれ

更新日:2024/08/20

敦賀から国道8号線を南へ走るとやがて京大阪へ続く国道161号線に分岐する交差点があります。ここは平安時代の昔から愛発(あらち)の関と呼ばれる関所があった場所です。都のあった京都へ出入りする人々をこの関所で色々と尋問し往来の目的等を調べた場所であったと言われています。ここから昔からの古道を通り歴史探索するのも楽しいものです。以前、山の帰りにこの道を辿ったことがあります。清流が流れ昔の姿をそのまま残す道は「深坂古道」と呼ばれ一度は歩いてみたい道でした。しばらく行くと、この峠を越える際、紫式部が詠んだと言われる句碑が道路わきに立っていました。

 

紫式部が父、藤原為時と一緒に京都から深坂古道を通り武生への道中、塩津山を輿に乗って越えた時に詠んだ歌です。句碑に記されている文章を書き写してみましょう。

、、、塩津山という道のいとしげきを賤(しず)の男(お)のあやしきさまどもして「なおからき道成屋」といふを聞きて
「知りぬらむ往来(ゆきき)にならす塩津山 世に経(ふ)る道はからきものぞと」

(大意)塩津山という道は草木が大変茂っているの道なので輿(こし)をひいて荷物を運ぶいやしい人足が「やはりここは難儀な道だな」というのを聞いて「お前たちも分かったでしょう。いつでも歩き慣れている塩津山も世渡りの道としては辛いものということが、、、、、

これを見ると当時の殿上人(てんじょうびと)達が人足達に対し思っていた情景が想像できます。ちょうど今、NHK大河ドラマで放映中ですが、この句碑が示すような情景は出てきていません。しかし若し私が千年前に生まれていれば、どんな境遇にいたことでしょう。殿上人とは身分が卑しい賤(しず)の男として、額に汗して輿を担っていたかもしれません。肩に担いだ輿の上から姫君がいう「世に経る道」即ち人生というものはこのようなものですよ!と教えをくれたとき、その言葉をありがたく頂けるか否かは分かりません。自分自身が高齢になっていれば「ありがたい教え」として感謝しつつ輿を担いでゆくことでしょう。反対に、働き盛りの壮年であれば、若い娘に説教されたと、いらだつ心をなだめつつ輿を担いでいるかもしれません。「人は世につれ世は人に連れ」と言われます。考え方も社会も時の経過で変わってゆくと言いますが、たとえ千年たっても人の心だけは変わって欲しくないと思うのはムリな願いでしょうか。