敦亀通信
不勿忘
更新日:2019/05/17
杣山は福井県 南条町にある山である。標高は492mとなっているが、思いのほか急な斜面がある山である。南北朝時代に瓜生 保という武将がこの山に城を築いたとされる。上野国(こうずけのくに 現在の群馬県)の御家人で南朝方に味方した新田義貞は神戸、湊川で足利尊氏に敗れた後、福井県に逃れ金ケ崎や杣山で北朝方と戦ったといわれている。今日はそうした舞台となった杣山に登ることとした。この山には過去2回登っている。最初に上ったときは私も元気盛りで頂上まで来たものの時間が余ってしまい、もう一山登ろうと、近くのホノケ山に登ったことを記憶している。次は雪が深い日であった。ラッセルしながら縦走し花蓮温泉に下りてきた。今日は所要で14時には家に帰りたいので、遠くまで行かず近くの杣山を選んだ次第である。西側からの通常ルートを選んで登り始める。途中、あちこちに40~50cmの石仏が祀られている。
一つ一つの観音像を仔細に観察してみる。千手観音と薬師如来が多く祀られているようだ。石仏の土台には寄進者の名前が彫られてる。尊い犠牲者に何らかのご縁がある方々が杣山城が落城する際、多くの命が奪われたことから、犠牲者の慰霊のため置かれたことと思われる。石仏は数百年の歳月を経て静かにたっている。私たちは平安な気持ちで登山を楽しみながらこうして石仏を眺めている。しかしこうして多くの石仏を建立し城へ続く山道においた当時の寄進者たちの心は一つ一つ違った思いがこめられていたものであったことが偲ばれるのである。やがて袿(うちかけ)岩といわれる場所に着いた。ここは城主の瓜生 保が金ケ崎で戦死したということを聞き伝えられた奥方や侍女たちが断崖絶壁から飛び降りたという場所である。死に臨んで、着ていた袿(うちかけ)を脱ぎ傍らの岩に掛けて死んでいった、、という事実は人間としての悲しみを覚えると共に女性らしく最後までものを大切にする細やかさを感じる。断崖絶壁の岩に立って下を見てみた。怖い、自分であればきっと怖気づくであろう。しかし当主を喪い、敵が迫ってくる絶望感は他に解決策があるはずもない。第二次大戦末期にサイパン島でも同じような悲劇があった。日本軍が玉砕し残された在留邦人の妻たちが絶壁から身を躍らせて死んでいった事実を忘れては成らない。私たちは歴史にとらわれてはいけないが、平和の大切さとありがたさを忘れてはならないということを痛感した。