敦亀通信
明日の人間社会を信じたい
更新日:2021/12/23
大阪 曽根崎での惨事について連日報道が続いています。なぜこんなことが起こるのでしょうか。いわば、何らかの原因で生きるのが嫌になった人間が関係のない他人を道連れにするものでしょうか。聞くところによると、火をつけた後、被害者の逃げ道をふさぎ立ちはだかり外へ通じるドアを締め切ったようです。こうなるともはや、道連れというより大量の殺人を意図していたことは間違いないと思われます。現場となった場所は心療内科のクリニックであり、本人も通院していましたが他の通院されている人達も心身の悩みや苦しみを抱えていた人たちです。こうした事件は数年前から多く発生していますが、近年特に増えて参りました。これらの事件で加害者にみられる共通な心理として、一般世間や特定の人若しくは団体に対する強烈な不満を持ち、それに対する「しかえし」若しくは「憂さ晴らし」のような形で一般市民に対する凶行に及んだのでは、というように想像されます。被害を受けた一般市民にとっては、何の関係もない人たちであり、まったく我慢できないことでしょう。どうしてこのような問題が多発するようになったのでしょうか。情報化が進展し、社会も個人もその恩恵に預かり便利性や効率性は格段に進みました。しかし昔からこの世は「憂き世」といわれ、すべての人間が一人一人多様な悩みをかかえて暮らしているのです。こうした悩みを抱え生きてゆくだけでも人生の一大事なのに、コロナ禍が加わった昨今の状況は真に厳しいものがあります。多くの誰もが苦しみに遭いそれに今日も耐え続けている、というのが現実社会でしょうか。その中で、苦しみがあまりにも大きいか、それとも苦しみに耐える力が不足しているときに、このような考え方と行動にはしるのでしょうか。私には分かりません。お恥ずかしい話ですが私にもこれとよく似た経験があります。学生時代、遠く関西で暮らしていました。ある日、妹から一通の電報が届きました。中を見ると、「ハハキトク、スグカエレ」という電文です。つい10日ほど前に元気で別れた最愛の母が危篤というのです。当時は自宅に電話がつけられていなかったので、お隣さんに呼び出し電話をかけさせてもらいました。妹が言うことには母が頭が痛いといって、あまりにも痛がるので病院へ連れて行ったら脳溢血で即時入院、そしてかなり重篤な状態で、ここ数日が峠です、と言われたとのことでした。私は母が死ぬかもしれないうということにショックを受け、大阪からの列車に乗ったのです。車内はほぼ満員で自由席車両で立ったまま郷里に向かったのです。心の中は絶望のあまり真っ暗で、一刻も早く母のもとに着きたいという思いだけでした。そんなとき車内は乗客が楽し気に会話したり食事を楽しんだりして私の心とは正反対でした。私はこうした状況を目にしながら、誰にもわかってもらえない悲しみや苦しみを感じながらも周囲の幸せそうな人たちを羨ましく感じていたのですが、これとは別に心の奥底にこうした幸せな人たちに「ひがみの心」が湧いてきてわずかですが「怒りの心」まで湧いてくるのを感じていました。その思いは瞬間的なもので、それ以上、深刻な状態に陥ることはありませんでした。今になって思うと、不幸のどん底にある人は、幸せそうな人をみると、そのようになりたい、と思う人もありますが、時には怒りの感情が湧いてくることもあるのだな、、とも思います。京都アニメーション事件、先ごろ相次いで起こった電車内での事件等々、ひょっとすると私が若かったころに心の奥底で感じたことを実行してしまったのかもしれません。今の世の中、こうした事件は今後益々増えてくるのではないでしょうか。私一人が努力してもどうなるものでもありません。こんな世の中ですが「明日はもっと良くなる」、「お互いに知恵と力を出して幸せな社会を目指そう」と一人一人が力を尽くしてゆきたいですね。自分自身だけでなく周りの人の幸せを望み明るく仲良く生きてゆきたいものです。、人間社会の未来を信じ生きている限り努力してゆきたいものですね。