敦亀通信
天道是か非か
更新日:2018/09/07
2018年9月6日午前3時8分、この日は忘れられない日となった。前々日の台風21号によって関西空港では数千人の人たちが空港施設内で不安の日を明かし、災害に対する多様なインフラの脆弱性にどうしょうも無い気持ちになっていた矢先、震度7の地震が生じたのである。
第一報を見たとき、瞬間的にこれは近時、稀に見る災害になる、と確信した。夜が明けて明るくなるとあちらこちらで大変な状態になっている。遠く離れた私にはどうしょうもない、気の毒だという心だけである。関西で震度6を記録し塀が倒れ学童の尊い命がなくなったのはついこの間のことである。それから7月、西日本地区を襲った集中豪雨で多くの人命と財産が失われ募金を募ったばかりである。そして台風21号が吹き荒れ敦賀では48mの強風が吹き荒れた。古代中国の史家、司馬遷の史記に「天道是か非か」の一文がある。、「天道に親無し。常に善人に与す」伯夷・叔斉(はくい・しゅくさい)の若きは善人と謂ふべき者か非か。仁を積み行ひの絜きこと此かくの如くにして餓死せり。、、、盜蹠(とうせき)は日に不辜を殺し、人の肉を肝にし、暴戻恣睢、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。意味するところは伯夷や叔斉のような徳を積んだ素晴らしい人材が餓死したが、罪の無い多くの人々を殺し果ては人肉を喰らい数千人の徒党を組んで悪事を行った盜蹠は長寿を保ち人生を終えた。こんなおかしなことを天は許すのであろうか、という疑問である。古来「まいた種は種は生えるまかぬ種は生えぬ」とか「善因善果 悪因悪果 」などと教えられてきた。打ち続く天災をみると、「天道是か非か」と感じざるを得ない。これから私達が出来ることはなんであろうか。金持ちなら大金をもってテロもなく気候も良く善人だらけの国へ行って住むのもいい。しかしそんなことは100%不可能であろう。私達は日本に生まれて生き続け死んでゆくのが一番であろう。であればお互いが助け合い少しでも平穏な人生をおくりたい。宮沢賢治の詩にあるように
雨にもまけず
風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち 欲はなく 決して怒らず いつもしずかにわらっている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜をたべ あらゆることを じぶんをかんじょうに入れずに よくみききしわかり そしてわすれず 野原の松の林の蔭の 小さな萓ぶきの小屋にいて 東に病気のこどもあれば |
行って看病してやり
西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい ひでりのときはなみだをながし さむさのなつはオロオロあるき みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい
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